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yumiko segawa

3/15「B→C」 解体図譜 ★その4 ★ ~タワーレコード「intoxicate」来月号インタビュー取材~



3/15「B→C」解体図譜★その4 ★


~タワーレコード「intoxicate」来月号インタビュー取材~


本日、鏡餅オペ日🎍

ふと鏡餅の気持ちになってみると、

「お汁粉」は、なんと無惨な結果でしょう…(!) 切っても切っても白いので、これまで鏡餅の気持ちに気づくことはありませんでした。。(;_;)でも、今日はそれを「知る子」に🙆

魂を分けてくださった鏡餅に感謝申し上げます。

さて、今日はお汁粉をいただいたあとに、心と口を開いて参りました👐


タワーレコードのフリーペーパーのintoxicate(イントキシケイト)で、3/15瀬川の「B→C」公演のインタビュー取材、

インタビュアーは、渡辺謙太郎さん。


まず、


3×(B→P) In (B→B)


これはどういうものか?から話が始まりました。

これは、「B」や「P」のアレゴリー探しに終始しては、ちょっと役目が果たせない後付けの記号式なのです(;_;) ちょっと素敵な言い方をすれば、私の「造形思考」😊✨


つくづく、今日お話しながら自分は「アンチ「B→C」」なのだなぁと気づかされる。勿論、このロゴス自体にです😹


もはや確信犯として、「B→C」のシンボライズ、そして通時性は不可能だということを証明するための


3×(B→P) In (B→B)。


どう聴いていただくか、それをいちいち制限したり方向付けしすぎることはなく、ただただ、「聴取体験」という形で、メシアン先生がおっしゃる方向で、また湯浅先生が思われる方向で、私も「時間から解放」されるような2時間を創りたいのです。


そこで、文化人類学の山口昌男さんと、湯浅譲二先生の対談の中にある、(『音楽のコスモロジーへ』青土社)

示唆的な議論をひとつ。


「コンサートにおける儀式性と縁日性」


これはかなり面白い切り口!


お察しの通り、文脈的に湯浅先生は儀式性に重きを置かれていらして、とにかく先生の志向は、「儀式性の中のいい部分である、宇宙論的な部分」。


そう!湯浅先生といえば、コスモロジー✨


湯浅先生信奉者の私だって、今回の「B→C」ばかりははっきりと、思いきって「儀式性」を強調したい。


現実にあるもの、可視的な目の前にある手触り感をみんなで共有し合う、そんな「縁日性」も、時に「儀式性」の中に根付いてしまった形骸となった制度を追っ払う、いい役目になるかもしれない。


プーランクにある仲間内の純粋な縁日性も大好き!だけど孤独に、これ以上ない深みで自己の存在を問う、同じく純度の高い儀式性のようなものも、私にとってはプーランクたらしめるもの。


------一見閉じられた人間的な世界にとどまっているものもそれはそれで面白いけれど、それよりもブラック・ホールの抜け穴みたいに、どこかで宇宙的なものとつながっているというものが芸術としては一番面白いんじゃないかとぼくは思うのです。(湯浅先生)


縁日性と儀式性、どっちが純度高い?どちらが重要?

そういうものでもない。


でもただ思うのは、

「儀式性」がこの世からなくなると、いよいよ危ない、という本能は忘れてはいけない気がする✨


あともうひとつ、パウル・クレーの『造形思考』から↓


----生を普通に見えるよりは少しばかり広くするあの珍しいことが現実、芸術上の現実となります。


それらは、ただ眼で見られるものを多少とも精神に充ちた形で再現するだけでなく、ひそかに直観しとったものを眼に見えるようにするからです… ----klee


「現実」が「今」を生きること、

ではなくて、クレーは、ありのままではない、「こうもあり得るだろう」の方向を目指してる👍✨


バッハのパロディー論も、単なる生産的エネルギーがなくなってくる現象の訳はなくて、毎回自らの信仰を新たに組み立て直すそんな「永遠の現在形のありかた」に違いない🤔✨


そういう意味で、


3×(B→P) In (B→B)は、


通時的な「B→C」からの、

非時間的な共時構造(重ね合わせ)への置き換えのほうほう。


クレーの絵を観るように✨


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