Joji Yuasa -『プロジェクション・エセムプラスティク--ピアノのための--』(1961)
湯浅譲二先生に、
「これはどうやって弾くのですか?」
とお聞きすることも叶わなくなってしまいました。
湯浅先生がインストラクションに書かれたことは非常に端的で簡潔でありながら、指のミュートが割と忙しく、猫の手も借りたい、ならぬ細分化の効果のためにBlue-Takが借りたいくらい…当然ながらこの作品はあらゆる意味で一筋縄で行かないことが分かってきました。
やはりこの「プロジェクション・エセムプラスティク」にも、自ずと浮き出てくるひとつの“身体”が必要でした🤔
これはどうしても演奏してみたくて今回選んだ曲です。ガリアーノさんの『湯浅譲二の音楽』にそっと薄い印刷で載せられた手書きのグラフィックな図形。
“george”yuasaのサイン✍️
improvisation composition cotinuum…
自分自身でピアノの内部でミュートする動作を繰り返しながら、“コード”=白丸を作っていくと、先生のお言葉にこれ以上修飾語や例外を書き足す必要もないことが実感として湧いてきました。
音の運び。
譜面に敢えて書き起こすべきか悩みつつ、2年前に勉強した『プロジェクション・トポロジク』を弾き起こしてみる。
CDや密かにyoutubeに挙げられている二つの音源を聴き、静かに分析、、、それは高橋悠治さんと園田高弘さんの演奏。両者はあまりにも違い、この湯浅先生の図形譜から導き出される幅の広さを感じます。そのことだけで、私は随分と言葉を費やすことができますが、それは今の自分の演奏に生きてきているので言葉で紡ぐことはやめておこう🤫
湯浅先生の“書かれたもの”を強烈に守り導かれるか、それとも、湯浅先生の想い(音符)を越えたある種のスピードに拍車を掛けるべきか…?
色々な違いがある。。🤔
でもいま、伝え聴くこと、実際耳にすることより強力な異他触発、最初であり最後の出来事は、「譜面との対話」
湯浅先生の伝統を“守る”こと、なのか私にはわからないけれど、漠然とした感覚です。敢えて一言もインストラクションで指示されない、湯浅先生の「音」の選択は、自ずと増4度、増減8度…ときどき間に完全5度…を重要な礎石として進んでいく
TRITONE!
それをじわりじわりと自らの手と耳で探していく旅が、譜面との対話の中から始まりました🐾
そう!プロジェクション・トポロジク(1959)、
あと、内触覚的宇宙(1957)、
数年前に個人的にじっくり取り組んだ湯浅先生の初期の2作品で固定的かつしなやかに溶け込んでいた響き。メシアンのMTL4や7が密かに投影されていることも噛み締めつつ…節が残っているようで流体になりきらないところが良いな…まるでこの曲を譜面「発」ではないところから到来するように、これらの和音が静かに手の中で組み合わされていくように、それが「エセムプラスティク」の正体かなと感じるようになりました。
ここでは、“曲線”が存在しないところが湯浅先生らしいところなのかしらと、勝手に感じたり…🪽
線と●、○、×、◽︎点線…それだけの指示の中だけなのに、なぜか湯浅コードらしきものが自然と帰ってくるようになりました。そしてこの図面上の「12の小さな庭」、それぞれに見れば見るほど、触れれば触れるほどに“峻厳”で音と音の隙間に鋭い光線が行き交うような、緊張感をヒシヒシと感じるように🪐
この譜面をみて、100人が100通りと思いますが、おそらく湯浅コードに繋がる瞬間を必ず誰もが持つようになるのではないでしょうか。園田高弘さんも高橋悠治さんの演奏にも、全く違うのに、なぜか同じ作曲家とわかる“音魂”が現れます
ガリアーノさんは、湯浅先生の音楽を自らの研ぎ澄まされた感性で、正確に語っていらっしゃいました📖
---(湯浅の)音楽技法で注目に値するのは、音楽的出来事の“固定”である
---もうひとつ重要な点は、徹頭徹尾、発展はしないが、表現豊かで密度の濃い構造に効果的な要素が、“循環”されることである
---アレクサンダー・カルダーのモビールのように、“予期できない動き”をする、“音の彫刻”を組み立てた…
奏者からこうした“動き”、ひとつの“構え”のようなものを導き出すように、『Projection Esemplastic』は創られているかのようです。
実は最後の引用のモビールのこと、これはブーレーズが『第3ソナタ』の構想を抱いていた時に、シュトックハウゼンに書いた手紙の中で書かれていた記述そのものです…🫣
それにしてもTRITONE!三全音、増4度の響きは私にとってただならないものとして響き渡ります…✨全体構想がついに叶わなかったBoulezの第3ソナタの、大きな大きな複雑な円の動きの、中心をなしてもいるものも、実はそう。音程、音高は第一原理にしか過ぎないことにしても、偶然が管理される、まさに「循環」の元のように、機能するこの響き…これに日記をつけるように何十通りの“轍”を日々付けています📝
でも、この音程を抽出したところでこの曲にも初期のピアノ曲にも“オーラ”が生まれるのは、理由がある🤔例えばこのエセムプラスティクも、同年にテープ音楽の「葵の上」が創られている。ホワイトノイズの探究はピアノ弾きにも多くが与えられるように感じます。ガリアーノさんの本には、『エセムプラスティク』の図の次のページに『葵の上』の図が、掲載されている👀
ブーレーズが特にクレーの絵画の背景を「インフォーマル・バックグラウンド」と呼んで自らも音楽でこれを表現したけど、これはガリアーノさんのお言葉ながら、湯浅先生の絵画の背景の空白部分は「ネガティブ・スペース」と表現されている…
湯浅先生の空間の音のプロジェクションは、電子音楽分野だけでなく、ピアノ界にも与えられた遺産と思って、心得ます✨きっとバッハを弾く時も現代作品弾く時もあらゆる時に、
プロジェクション!!
「エセムプラスティク」…これは、1つのものを形作る、の意。
生きた音楽的オブジェを作るために、無欲であるべきだけれど、、、それなりの“お稽古”をして備えています…🏃♀️💨 —
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